鈍川温泉について
鈍川温泉の今昔物語
緑の渓谷に囲まれた
いで湯の郷 「鈍川温泉」
愛媛県今治市玉川町にある鈍川渓谷は、「奥道後玉川県立自然公園」に属し、「二十一世紀に残したい四国の自然100選」に第2位で入選したほどの名勝地です。
この渓谷の一角に美人湯の誉れ高い鈍川温泉があり、この地域の観光の中心となっています。
鈍川温泉の位置
愛媛県の北東部、高縄半島の中心部に位置し、今治市内から蒼社川に沿って延びる山間の道を進んでいくと鈍川温泉があります。
鈍川温泉のあゆみ
道後温泉、本谷温泉とともに伊予の三湯といわれ今治藩の湯治場として繁昌
鈍川温泉の湧出は遠く平安時代にさかのぼり、長い歴史を持つ温泉です。
奈良時代後期の大地震によって温泉の湧出量が激減し、お湯の温度が下がったことがありましたが、 藩制時代には今治藩主の狩場や薬草園もあったことから今治藩の湯治場として賑わいをみせていました。
明治4年(1871年)春、旧今治藩は、山渓を開拓して温泉場として整備しました。寒村樋地のため湯治客が少なく、明治9年ころにはすたれてしまいましたが、大正10年には、鈍川村内の有志(越智重太郎・越智直三郎・正岡太八・小林豊三郎など)が発起人となって温泉組合を設立。町おこしの一貫として鈍川温泉の開発に取り組みました。そして同14年に念願の鈍川温泉組合経営の鈍川温泉が発足しました。
開業当初は、会社直営で役員が交互に出向いて運営していましたが、後に今治の業者に入札で年限を切り経営させました。鈍川温泉本館の周囲にも旅館・店屋などが数軒営業を始め、徐々に発展していきましたが、太平洋戦争により鈍川温泉も大打撃をうけてしまいます。
戦後の昭和27年民間資本による株式会社鈍川温泉が設立され、交通条件の整備、新たな源泉の掘削、近代的な旅館の建設も次々と進められてきました。平成元年には、掘削によって地下300mより多量の湯が湧出し、日帰り温泉施設「せせらぎ交流館」や「温泉スタンド 観音湯」が造られました。こうして、現在愛媛県下で道後温泉に次ぐ温泉地として今治市民をはじめ全国の人に親しまれています。
鈍川温泉の四季
めまぐるしく移り変わる時代の中で、鈍川の豊かな自然は、いつの時も限りない恵みを人々に与え、心を癒してくれます。
春は桜と山菜料理
山に、郷に、桜や菜の花などの美しい花々が咲き誇り、あたたかな陽射しがやさしく包みます。
今治市内にも、たくさんの札所があり、遍路道は春の訪れとともに白装束のお遍路さんたちで賑わいを見せ始めます。
春の味覚の山菜料理に舌鼓をうちながら、のんびりお花見も楽しめます。
夏はカジカの声する清流
清流にアメノウオやマスなどが泳ぐ鈍川渓谷は「えひめ100選」にも選ばれた景勝地。近くにある「ふれあいの森」には、多くの人がバードウォッチングやキャンプ、森林浴に訪れ、公園やキャンプ場が整備された玉川湖周辺は、ドライブやカヌーを楽しむ人々で賑わいます。
昆虫採集を楽しむ子供達の姿が多くみられます。
秋は錦おりなす紅葉の渓谷
美しい渓谷の風景を楽しめるよう、鈍川渓谷の清流に沿って遊歩道や休憩所も整備され、渓流にかかる「ふれあい橋」「水源の森橋」が美しい景観にアクセントを添えています。
また、「玉川ビューパーク」や、大野川沿いにはコスモスが咲き誇り、訪れる人の目を楽しませてくれます。
冬はいのぶた料理
県下有数の林業地帯でもあるこの辺りは、澄んだ空気の中、杉や檜の人工林が、時にはうっすらと雪化粧をして神秘的な美しさを見せてくれます。
山里ならでは!特産のイノブタと旬のお野菜を使った鈍川名物「いのぶた鍋」は、地元の人にも定評があり、わざわざ「いのぶた鍋」を食べに訪れる人もいるほどです。
鈍川温泉の泉質と効能
美肌効果の高いツルツルのお湯で
しっとりすべすべのお肌に
ラドン含有量が高いアルカリ性単純泉のお湯は肌触りよくなめらか。美肌効果が高いとされ、古くから「美人の湯」として知られています。
源泉名 | 玉川鉱泉 |
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泉質 | 低張性アルカリ性冷鉱泉 |
色 | 無色透明 |
におい | 無臭 |
泉温 | 源泉:20.03℃ 使用位置:42℃ |
適応症 | 神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・打ち身・挫き・慢性消化器症・痔疾・冷え性・病後回復期・疲労回復・健康増進 |
禁忌症 | 急性疾患(特に熱のある場合)、活動性の結核、悪性腫瘍、重い心臓病、呼吸不全、腎不全、出血性疾患、高度の貧血、その他一般に病勢進行中の疾患、妊娠中(特に初期と末期) |